Step3: 見舞い仲間―――前
陽ちゃんのお見舞いに行く方が楽しくて。
同年代の子とおしゃべりする時間の方が楽しくて。
私はついつい失念してしまっていた。
同じ病院にいる祖母のことを。
「・・・え・・・・・・?」
「だからね・・・」
母から告げられた衝撃の事実。
そんな災いが自分に降りかかってくる日がやってくるなんて、思いもしていなかった。
「・・・最近病院に来ないじゃん」
大学のいつもの講義。
井上くんと会うその講義で、珍しく彼から私に話しかけてくれた。
でも、私がすぐに反応を返せない。
最近病院を避けていたのは本当だった。
でも、その理由を口に出すのは・・・・・・。
「乾サン?何かあった?何か陽が気を悪くさせるようなことでも・・・」
「違うの、そうじゃなくて・・・・・・」
違う。
彼女が悪いわけじゃない。
悪いのは私。
でも、病院に行くのは・・・・・・彼女に会いに病院に行けば・・・・・・。
「じゃぁなんで・・・?別に忙しいだけならいいけど、なんか、元気がないみたいだし・・・・・・」
いつもはそんなに優しくないのに、井上くんは優しく声をかけてくれる。
・・・いや、彼は本来優しいのだ。
だから、絶やさず彼女のお見舞いに行く。
「・・・ごめんなさい。陽ちゃんとは何もないの・・・。陽ちゃんは何も悪くなくて・・・・・・」
それだけ言って、唇をきゅっと噛みしめる。
どう言っていいかわからない。
だって、この『理由』は、彼にも彼女にも関係のない話で・・・・・・。
でも、そのために病院に行けず、彼女を傷つけてしまっているのなら・・・・・・。
「・・・そういえばさ」
私のことを気遣うように、井上くんが話しかけてくれた。
「おばあさん、元気?最近陽のお見舞いばっかりで、行けてるのかなって思って」
思わず、動揺が表情に出てしまう。
目を泳がせて、顔を歪ませてしまうのを、抑えることができなかった。
「・・・乾サン・・・?」
「・・・老人が骨折をすると・・・・・・」
井上くんの呼びかけを無視して、私は掠れた声で話を始めた。
「老人の骨折って、治りが遅いんだって知ってた・・・?足を骨折しちゃうと、ベッドから動けないまま、長い長い入院生活になるの」
私が話す間、井上くんはなにも言わない。
相槌も何も。
だから、まるで独り言のように、私は話す。
なぜか、その方が話しやすかった。
「・・・ずっと寝たきりで、何の刺激もないと・・・・・・老人はそのうち惚けてしまいやすくなると言われているらしいわ・・・」
「・・・まさか・・・」
「・・・うん。おばあちゃん、いつの間にか惚けちゃってて、お見舞いに行った母のこともわからなくなっちゃったみたいで・・・・・・」
それだけ言って、思わず言葉が詰まってしまう。
これ以上何か言ったら、きっと泣いてしまう。
涙をこぼさないように目を開いて、ぎゅっと拳を握りしめる。
「・・・ごめん。陽のお見舞いばかり付き合わせちゃったから、おばあさんのお見舞いに行く時間がなかったんだよな」
「・・・ううん、陽ちゃんのお見舞いの方が楽しくて・・・おばあちゃんのお見舞いに行かなかった私が悪いの・・・・・・」
目を背けたのは私。
誰も悪くない。
悪いのは、私。
なのに、今更になって、後悔してる・・・・・・。
「今からでもおばあさんのお見舞い、行かないのか?陽には事情を話しておくし・・・・・・」
「・・・わいの・・・・・・」
「え・・・?」
「・・・怖いの・・・・・・。おばあちゃんに会って・・・いつものおばあちゃんじゃない、おばあちゃんに会わなきゃいけないことが・・・・・・」
「乾サン・・・・・・」
「・・・ずるいっていうのはわかってる・・・・・・。でも・・・でも、怖くて・・・・・・おばあちゃんに忘れられてしまうことが・・・・・・まるで・・・」
責められているようで。
最後まで言いきれず、思わず私は涙を流してしまう。
俯き、泣き顔を見られないようにする私の背中を、井上くんがそっと撫でてくれる。
「・・・行こう、病院へ。おばあさんに会わなかったら、もっと後悔するよ」
優しい声。
優しい掌。
ただそれだけで、私は涙が止まらなかった。
悲しいのか、苦しいのか、わからなかった。
何も返事ができずに泣いている私に、井上くんがそっと優しく声をかけてくれる。
「おばあさんに会いに行こう?ひとりで行くのが怖いのなら、俺も一緒に行くから。・・・ずっと会わないで後悔するのはよくない」
もう何日も祖母のお見舞いに行ってなかった。
母からその事実を聞いて、病院にも行ってない。
その現実を見るのが、罪悪感と向き合うのが、怖くて。
それなのに、井上くんが一緒に行ってくれると言ってくれただけで、素直に頷くことができた。
おばあちゃんに会いに行こうと思えた。
井上くんにとって、私はただの「お見舞い仲間」だったのかもしれない。
だけどそのとき、私にとって彼は、すがることができるたったひとりの相談相手になっていた。