<朔月>
〜後編〜
何もないところに、何も生まれない。
どんなに望んでも、「ない」ものは「ない」のだから。
だけど、「ある」ところには、「ある」。
望めば望むだけ、有数に。
あらゆる手段を尽くして、「ない」者から奪うことになっても。
・・・・・・誰がそんな不公平なことを決めたのだろう。
なぜ、わずかな望みさえも叶えられず、踏みにじられる者がいるのだろう。
こんな不平等な原理を誰が決めたのか。
この世の理を神が決めたというのならば、神にさえも逆らってみせる。
自分が正しいと思った道を進む。
不公平な理を築き上げ、不条理に制裁を与えぬ神を称えることはできないから、あたしこそが神になる。
闇色に染まった、漆黒の神に。
「いたぞ、追え、追えーー!!」
深夜の豪邸に響き渡る怒号。
天下のICPOの肩書きを持つ男たちが、右へ左へと走り回る。
それはとても、気味のいい光景だった。いつもは気取っている金持ちも、えばっている大人たちも、みんな翻弄されている。
たったひとりの小娘に。
なんてバカな奴等だろう。なんて愚かな者たちだろう。
それなのに、ただ財力があるというだけで、まるで王様のように偉ぶるのだ。その財力の源が、汚い手段で手に入れたものだとしても。
そんな奴等を野放しにして、その裏で貧困に苦しみ、悲しみ、嘆く者たちがいることを、こいつらはわかっているのだろうか。
苦しむ貧民たちに何の施しも与えないどころか、奴等はさらに彼らを追い詰め苦しませているのだ。
なぜ、それが許されているのだ。
この世の中は。
神は、貧民を捨てたのか。
・・・・・・それなら、あたしが神の代わりに、悪事を裁くしかない。
今夜も、そんな愚かな地主の豪邸から財宝を盗み出し、郊外の養護施設に寄付してきたところだ。
お金を余らせている人たちから、お金を困らせている人たちへそれを流して、何が悪い?
あんたたちICPOは市民の味方のふりをして、それでも底辺にいる者たちを蔑んでいるのでしょう?
あたしは、最後にちらりとだけ彼らに視線を送り、夜の街を屋根から屋根へと飛び渡った。
いくつもの国、街を旅しているが、この街はいい。
ここには、街を見下ろすことができる、特上の場所があるから。
イタリア、フィレンツェ。
観光地であるここには、街を見下ろすことができる、大きな聖堂がある。
ドゥオーモと呼ばれるそこの頂点は、昼間は観光客を呼び寄せる絶好の展望地だ。
だけど、あたしは夜の町並みを見下ろすことが好きだった。当然そこはすでに立ち入り禁止の時間にはなっていたが、あたしにそんなことは関係ない。
勝手に侵入して、勝手に夜の街を堪能する。
きらきらと宝石箱をひっくり返したかのように輝く夜の町並みは、まるで夢のようだった。
今夜は新月だから、月の明かりもなく、なお一層輝いて見えた。
ドゥオーモの上からゆったりと町並みを見下ろし、今夜の自分の活躍に酔いしれていたそのときだった。
「・・・・・・もう、死ぬしかないかな」
まず、この場にあたし以外の人間がいることに驚いたし、呟かれたその言葉にも驚いた。
困っている人、苦しんでいる人たちを助けることもモットーに活動している身としては、聞き捨てならない。
一体どんな人がそんなことを呟いちゃったのだろう?!
こっそりと伺い見れば、いかにも根暗そうな若い男が、思い詰めた様子で夜の街を見下ろしていた。
まずい、まずい。せっかくの夜景を血で染まられたら大変。
あたしはその男に、声をかけてみた。
少し驚かせようかと思いながら、危険な場所に立ちながら。
だけどその男は、あまり表情を動かさずに呆然とあたしを見上げていた。あまりのノーリアクションに、こちらが戸惑うほどに。
普通なら、もっと驚くものだ。
一歩間違えばぺしゃこんになるそうなこの高さで、腕一本分もないような手すりの上に立っていたのだから。
もちろん、あたしがそんなヘマをすることはないという絶対の自信があるからこその行動ではあるけれど。
それでも、普通の人ならびっくりするか、慌てるか、何かしらの反応はありそうなものだけど・・・・・・。
あまりの無表情とノーリアクションに、とうとう笑いがこみ上げてきた。
「お兄さん、変わっているわね。普通なら、もっと驚くものよ?」
そもそも、この時間、この場所に、こんな小娘がいること事態、驚くべきものだ。
なんだか遭遇したことのないタイプの反応に、あたしの方が好奇心をそそられてしまった。
これは死なれちゃ困る。
何を思い詰めているのか知らないが、ここはひとつ、楽しい気分にでもなってもらおうと、あたしは彼にプレゼントを渡した。
サーカス団の公演チケットを。
「それじゃぁね、お兄さん。絶対来てね」
もっと彼とのおしゃべりを楽しみたかったのだが、そろそろ時間だ。
集合時間が近づいていた。
ちょっとでも遅刻すると、あの子はうるさいのだ。
「よし、時間通り!!」
「・・・・・・3分の遅刻だよ」
集合場所に到着し、ざっと腕時計を確認して呟くと、すぐそばで不機嫌な少年の声が届いた。
見れば、お日様の光のもとで見ればおいしそうなミルクチョコレート色の髪を持つ少年が、腕を組んであたしを睨みつけていた。あたしは思わず笑って誤魔化しながら、不機嫌な彼に軽い口調で返した。
「3分くらいの遅刻、いいじゃないの。ちゃんとうまくいったんだし」
「じっと待ってるこっちの身になってみろよ。何かあったんじゃないかって心配するだろ?!」
まだ一桁の年齢の少年が、まるで子犬のようにきゃんきゃんと吼える。それはそれでかわいらしいな、と思うものの、それを言うと怒ってしまう、難しい年頃なのだ。
・・・・・・まして、言わないほうがいいだろう。時間潰しで、寄り道していたなんて・・・・・・。
「ごめん、ごめん。ICPOのおじさんたちがしつこかったからね」
テキトーに謝りながら少年に答えると、なぜか彼はじぃっとあたしの顔を見上げてきた。
「・・・・・・何?」
「なんか、いいことでもあったのか?いつも<活動>終わりだと、もっと暗い目をしてるのに・・・・・・」
「そ、そう?」
鋭い言い分にどきりとする。
自分の中に確固とした大義名分があっても、こうして盗みを働いた夜は、どうしても思考が闇に呑みこまれてしまう。
裁くべきは誰なのか。
それをすべき者は誰なのか。
この世は、なぜこうも、幸と不幸の差が歴然としているのか。
考えても仕方のないことを、まるで迷路の中に迷い込んだかのように考えてしまう。
なるべくそれを見せないように、寄り道をしてからこの子と待ち合わせていたつもりだったが、どうやらしっかりと見抜かれていたらしい。
しかも、どうやら今夜はあの不思議なお兄さんと出会ったことで、自分でも知らぬうちに闇から抜け出していたらしい。
「何もないわよ。さ、それよりも早く帰りましょう。明日の公演に響いたら大変」
「明日もきっと、<銀月の妖精>の活躍がニュースで流れるかもしれないな」
ニヤニヤ笑いながら、弟分であるその子があたしに言う。
別にあたしは、世間に騒いでほしいわけではないから、それに対して苦笑を返すしかない。
<銀月の妖精>
そう名乗ったわけでもないのに、いつの間にか、世間があたしをそう呼んでいた。
貧しい者たちに施しを与える、義賊だと。
それが、あたしの秘密の夜の顔だったのだ・・・・・・。
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「あたしの恋人」をご覧いただけている方には、「おぉ」というメンバー続出のお話だったかと思います(笑)
2013.11.13