<下弦の月>
〜前編〜
下弦の月が出ているはずの今夜は、雪だった。
真っ白な銀世界に月も隠れてしまって見えない。
更待月の夜に、あたしはソウマに別れを告げられた。
それから3日。
あたしは泣いたり落ち込んだりと忙しい日々だった。
なぜ泣くのか、なぜ落ち込むのか。
自分で自分に何度も問いかけた。
あたしが本当に望むものは何か。あたしが本当にやりたいことは何なのか。
今夜はクリスマス。この町で最後のサーカスの公演も、今夜無事に終えることができた。
これで、この町ともお別れ。
・・・・・・ソウマとも。
ピエロのメイクをした自分を鏡で見ながらあたしは、ある決意を固めようとしていた。
あたしにとって、サーカスは人生そのものだった。
親に捨てられ、団長に拾ってもらって育ててもらって、サーカス団のみんながあたしをここまで成長させてくれた。
こうして公演に出て、お客さんを喜ばせることができるのも、あたしの生きがい。そして、サーカス団みんなへの恩返しにもなっていると思っていた。
考えたこともなかった。サーカス団を離れることなんて。
でも、あたしの今の気持ちに決着をつけるには、この決意を伝えるしかない・・・・・・。
「ルナ、ちょっといいかな」
「・・・・・・団長」
団長があたしの控え室を訪れるのはとても珍しいことだった。控え室は種目ごとに与えられていて、個人種目の多いあたしは、控え室を個人的に与えられていた。
外では、みんな最終公演を終えてわいわいと賑やかに騒いでいるのが聞こえる。その中で、不安そうな表情で部屋を訪ねてきた団長の様子に、あたしはむしろ心配になった。
「どうしたんですか、団長?」
「ルナ、今夜の公演も本当によかったよ。ジョンとの息もぴったりだね」
「もうジョンひとりでも公演できると思いますよ」
「そうだね」
他愛ない話を繰り広げて、なかなか団長は本題に入ろうとしない。
いつもならハキハキと歯切れのいい話し方をする団長が、誤魔化すように本題に入ろうとしないことに、あたしは首を傾げた。
「団長、あたしに何か話があったんじゃないんですか?」
問えば、団長は笑みを消してじっとあたしを見つめてきた。いつもにこにこしている団長の真剣な眼差しに、慣れずにあたしはどきまぎしてしまう。
「だ、団長・・・・・・」
「ルナ、君こそ僕に話があるんじゃないのかな?」
団長の真剣で鋭い一言に、胸が鳴った。
すっかり見透かされている。
まだ、あたしの中の決意は揺らぐけれど・・・・・・だけど、あたしの中で最善だと思った決意を団長に話してみることにした。
真剣にあたしだけを見つめてくれる彼に、それを今、相談するべきだと思ったから。
あたしはきちんと団長と向き合い、息を吸い込んでからはっきりと言った。
「はい、団長に相談があります」
「・・・・・・なにかな?」
「あたし、しばらくの間日本に留学に行きたいんです」
「日本に留学?」
思わぬあたしの発言に、団長の目が丸くなる。
まぁ、無理はない。
だけど、サーカス団とまだ離れたくないあたしが、なんとか見つけた、自分なりの決意。
最後に一目でいいから、ソウマと会って話したかった。
それが、本当に決別の話し合いになるのだとしても。
自分の気持ちを彼に伝えたかった。
「・・・・・・そっか、ルナは日本人だし、日本に関心を寄せるのも当然だね。・・・・・・そっか、それなら、日本でもいいのかも・・・・・・」
「団長?」
なぜかひとり納得を始めた団長に、あたしは首を傾げる。すると、彼は意を決したようにあたしに言った。
「じつは、この事実はまだほんの数人にしか話していない。もちろん、まだ幼いジョンにも話していないことがあるんだ・・・・・・」
「なんでしょう?」
「・・・・・・ちかいうちに、このサーカス団を解散しようと思っている」
ガンっと頭を打たれたような気分。
サーカス団を解散する・・・・・・?!
まさか、そんなことが起こるなんて・・・・・・。
「解散・・・・・・?なんで・・・・・・?!みんなは、どうするの?!」
「それぞれの次の暮らしは用意している最中だよ。ルナの次のサーカス団も交渉中だったんだけど・・・・・・もしかしたら、日本の方がいいのかな?」
「ど・・・・・・して・・・・・・解散なんて・・・・・・。・・・・・・やっぱり、お金がないから・・・・・・?」
「お金なんてなくても、サーカス団はやっていけるさ」
そう言って団長は苦笑する。
確かに、今のサーカス団がこれほど人気を集める前は、本当に毎日食べるものもないような状態で、公演を繰り返していた。
今更貧乏だからってサーカス団を解散する理由にはならない。
「じゃぁ、なんで・・・・・・」
「ん〜、オトナの事情ってやつかな・・・・・・。ルナが心配することでも気にすることでもない。ただ、こうして今、サーカス団が絶頂期を迎えているうちに、みんなを次のステップに行かせてあげたくなったんだ。ごめんね、わがままで」
「団長・・・・・・」
もう、何がなんだかわからなかった。
わからなすぎて、涙が止まらなかった。
ピエロの化粧が崩れていくのが、落ちてくる色の着いた涙でわかる。そんなあたしの頭を、団長はそっと何度も撫でてくれた。
幼いときにそうしてくれたように。
「急な話でごめんね、ルナ。・・・・・・だけど、君はもう、サーカス以外のものを見つけたように見えたから」
「・・・・・・え・・・・・・?」
「知ってたよ。君が夜に密かにサーカスとは違う活動をしていたことを。そして、最近、見つけたのだろう?君の新しい居場所を。そしてそれは、日本に繋がっているのかな?」
団長の鋭い指摘に、あたしは言葉を返せない。
しかも、<銀月の妖精>のことも団長は知っていたのだ。それをずっと、黙っていてくれた。見守っていてくれた。
あたしを信じてくれていたのだ。
「そんなに泣かないで、ルナ。確かにこれは悲しい別れだけれど、きっと素晴らしい未来への一歩になるから」
「団長・・・・・・」
「日本へ発つのは早いほうがいいのだろう?・・・・・・今夜発ったらどうだい?」
「え?」
いきなりの提案に、さすがにあたしもきょとんとしてしまう。
今、衝撃的な事実を聞かされて、頭の中は大混乱なのに、団長は、今日サーカス団を発てというのだろうか。
「だ、団長・・・・・・今夜いきなり発つなんて、そんな急に・・・・・・」
「急にじゃなきゃ、君はここから逃れられないと思うけどね」
ふわりと団長は笑う。何もかも、すでにお見通しの顔で。
「日本に留学に行きたいなんて、みんなにその理由を言えるのかい?ジョンには何て言うつもりかな?今夜は最終公演の打ち上げでみんなは浮かれている。その隙に、君は君の目的のために、ここを発ちなさい。いずれはみな、ばらばらになってしまうのだから。ルナだけそれが少し早いだけだよ」
「団長・・・・・・」
団長の言うことも一理あった。
ぐずぐずと日本へ発つことを先延ばしにすれば、きっと離れづらくなる。その理由も明確にはみんなに話せない。
こうしてみんなが浮かれている今、こっそりと旅立てば、迷うこともなく発つことができる。
ジョンに引き止められることも、ない。
・・・・・・みんなとお別れを言うことができないのは寂しいけれど、言いたくも、なかった。
「団長・・・・・・あたしってわがまま・・・・・・。みんなとずっとずっと一緒にいたいのに・・・・・・サーカス団が解散なんてしてほしくないのに・・・・・・でも、あたし、彼の元へ行きたいの・・・・・・!!」
「よかったじゃないか。自分だけの居場所を、自分が望む道を見つけることができて。それはわがままではないよ」
優しくやさしく、団長はあたしの頭を撫でてくれる。
あたしが迷う道を、導いてくれるかのように、応援してくれるかのように。
この大きな暖かな手が、いつもあたしを包んでくれた。
「さぁ、ルナの信じる道へ行きなさい」
団長が親指であたしの涙を拭きながら促す。
部屋の外では打ち上げの準備が行われている。
あたしは、そんな中、この町を出る。
サーカス団から離れ、自分の道を歩くんだ。
「・・・・・・今まで、ありがとうございました、団長」
改めて、心の底から感謝した。
見ず知らずのあたしを、ここまで愛情不覚育ててくれた、温かな人。
家族の愛情を教えてくれた人。
<銀月の妖精>の存在と正体を知りながら、信じて見守ってくれた、懐の大きな人。
あたしは、たくさんの感謝の気持ちを言葉では伝えきれず、彼の大きな体に抱きついた。
彼もまた、あたしの頭や背中を黙って優しく撫でてくれた。
「幸せになりなさい、ルナ」
最後のその一言に、あたしは何度も頷いた。
今夜、ソウマは日本へ帰ると言っていた。
それがいつの飛行機かわからないけど、直感で、彼はまだこの町にいる気がした。
まだ、間に合う気がした。
だから、今すぐソウマを追いかけに行こう。
自分の道を信じて。
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ルナがサーカス団を去るとき、それはサーカス団が解散するときだと決めていました。
なぜ、サーカス団を解散するのか。それはいつか、ジョン側の番外編で書ければいいなぁ、と思ってます。ジョンたちがサーカス団解散の事実を知った時の話も書きたいと思ってますので!!
ルナの親代わりでもあった団長は、ルナの考えることはお見通しです。
だからこそ、旅立つ彼女の背中を押しました。
こんな保護者だったら、とても素敵ですね♪
2014.4.20