<暁月>

 

〜前編〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルナと共に日本へ向かい、すぐには実家に帰らなかった。

気持ちの整理をつけたかったこともあり、数日の間だけホテル暮らしをした。

 

 

 

 

正直、ルナが一緒に日本まで来るとは思わずに驚いた。

彼女をこれ以上巻き込みたくなくて、傷つけたくなくて、だから、ルナたちサーカス団が最後の公演を終えるクリスマスに日本へ帰国しようと思ったのに・・・・・・。

それなのに、俺はなかなか飛行機に乗らずに、空港で時間を潰していた。

雪が降り積もる滑走路をぼんやりと眺めていた。まるで、何かを待っているかのように。

・・・・・・いや、本当は心のどこかで期待していたんだ。ルナが来てくれることを。

いつだって、彼女は俺をひとりにはしないでいてくれたから。

これは、どうしようもない甘えなのだとわかっていても・・・・・・。

 

 

 

 

「ソウマ?」

荷物の整理を終えたルナが不思議そうに首を傾げている。

この少女に、俺はどれだけ救われたのだろう・・・・・・。

「ソウマ?どうしたの?」

「・・・・・・いや、なんでもないよ。・・・・・・もうすぐ、年の瀬だな・・・・・・」

話題を変えるようにして、俺はホテルの窓の外を眺める。

そこからは交通量の多くなった道路が見下ろせた。陽も落ちた町に、車のライトが光のラインを作り、幻想的な眺めとなっている。

「ヨーロッパの夜景とは随分と違うのね。日本は話に聞いていた通り、小さな町が多いのね」

瞳をきらきらさせながら、彼女は言う。

これまで<銀月の妖精>として夜の町を駆けていた彼女にとって、この眺めはまた違ったものに見えるのかもしれない。

 

 

 

 

「・・・・・・そういえばルナ、<銀月の妖精>の活動はよかったのかい?何か目的があったんじゃ・・・・・・」

「大丈夫よ。明確な目的があってやってたわけじゃないの。ただ・・・・・・なんか、もやもやと晴れない気持ちを、夜の活動にぶつけてただけ」

ふと思いついた疑問を投げてみれば、彼女からは苦笑交じりの答えが返ってきた。

「日本でもやろうかしら、<銀月の妖精>」

くすくすと笑いながら、彼女はさらにそう言い加えた。

あながち冗談とも思えなかった俺は、慌てて彼女を制止した。

「日本はヨーロッパほど広くないよ。こんなところであんな活動をしたら、正体がばれてしまうかも・・・・・・」

「あら、あたしを誰だと思ってるの?ICPOを相手に逃げ回ってたのよ?日本警察に捕まるようなことも、ばれるようなこともないわよ」

ちょっとムキになって抗議してくるルナの態度に、俺の言葉は逆効果だったと知る。

「あ〜・・・・・・うん、わかった。だけど、できれば日本では控えてくれ」

「・・・・・・どうしてかしら?」

先ほどのような不機嫌な声色ではなく、少し妖しく意地悪な目でこちらを見上げながらルナは問いかけてくる。

彼女が望む答えを俺が言うのを期待しているのだ。

「・・・・・・その理由は、君自身がわかっているんじゃないかな、ルナ」

急に照れくさくなって、俺は彼女から視線を離し、荷物整理の続きを再開させながら言った。

当然、ルナの機嫌は下降する。それでも俺は構わずに荷物の整理を続けた。

これから、俺たちは実家に帰るのだ。

両親にルナのことをどう紹介しようかと迷ってはいるものの、一方で彼女を俺の実家に連れて行きたいという思いもあった。

 

 

 

 

「・・・・・・あたし、何かとても大切なことを忘れている気がするのよね」

 

 

ふと、片付けの手を止めて、ルナがそう呟く。その不安そうな声色に、俺は彼女を見つめた。

「忘れている?大切なもの・・・・・・って、フィレンツェに何か忘れたのか?」

「そうじゃなくて・・・・・・。もっと、あたしたちにとって・・・・・・ソウマにとって大事な情報を忘れている気がして・・・・・・」

「俺にとって・・・・・・?」

俺にとって大切な情報・・・・・・。

それはきっとあの研究所のことや<シリーズ>のことなのかもしれないが・・・・・・。

「だけど、うまくフィレンツェから逃げて日本まで来れたんだ。大丈夫、心配するようなことはないよ」

もちろん、奴等が日本まで追いかけてこなければ、の話だけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お互いに言及できないままの不安を抱えながら、俺たちは俺の実家に向かった。

ちょうど夕飯時ということもあって、懐かしい近所の家々もおいしそうな香りを漂わせている。こうして懐かしい風景を眺めていると、改めて日本に帰ってきたのだと実感する。

田舎町のほのぼのとした雰囲気を見ていると、自分が今までいた場所が夢のようにさえ思える。こんな田舎にいつまでもくすぶっていたくなくて、海外の大学へと逃げるように出て行ってしまったのだけど。

もうすぐ実家にたどり着くという道のりで、急にルナが俺の袖を引いた。思えば、ここまでの道のりで、彼女はずっと黙りこくったままだった。

 

 

 

「・・・・・・ルナ?」

「・・・・・・思い・・・出したの・・・・・・」

夜の暗がりでよく見えないが、彼女の顔色は少し悪いように見えた。

「思い出した?何を?」

「あの研究所って・・・・・・」

喉に何かが詰まっているかのように、彼女は細い声で言葉を詰まらせながら言葉を紡ぐ。もうすぐ懐かしい実家だというのに焦れる思いで、俺は彼女の言葉を待った。

「研究所って・・・・・・イタリアの?」

「そう。・・・・・・でも、あたしたち、調べたじゃない・・・・・・!!あの研究所が、他にもどこにあるのか。・・・・・・いいえ、どの国にあるのか」

 

 

ルナのその最後の一言を聞いた瞬間、足元が崩れるような錯覚に陥った。

・・・・・・そうだ、なんで、忘れていたんだ。あの危険な研究所は、イタリアだけじゃない。

フランスにもあったし、ドイツにもあった。ほぼヨーロッパ中にそれらは点在し、そしてなぜか・・・・・・アジア圏だけは唯一、日本にもあの研究所はあったのだ。

俺の実家のある田舎からは離れた場所だったが、同じ国にあるには違いない。

イタリアから逃亡した俺たちを追いかけるには十分な時間もあるだろう。研究所は、俺が日本人であることはもちろん知っている。

そして当然、俺の実家も突き止めているだろう。

・・・・・・だとしたら、すでに俺の実家に奴等が・・・・・・?!

 

 

 

 

 

「ソウマ・・・・・・」

不安そうに俺の名前を呼ぶルナの真意はわかる。

俺は、その場から動けなくなった。

今すぐにでも両親がどうしているのか、見に行きたい思いがある。だが一方で、どうなっているのか、知りたくもない気持ちもあった。

怖かった。

・・・・・・あいつ等の残酷さを知っていたから・・・・・・。

 

 

 

 

 

「ソウマ・・・・・・」

「・・・・・・ルナ、この先の角を曲がった、青色の屋根の家が、俺の実家だ・・・・・・」

急に実家への道を告げた俺に、ルナは一瞬首を傾げたものの、すぐに小さく頷いた。

意気地のない俺の代わりに、ルナに様子を見てきてもらおうという俺の逃げに、彼女は察しよく気づいてくれたのだ。

彼女はすぐに駆け足で角を曲がって行った。その後姿を見送りながら、どうにもならない衝動に駆られていた。

泣きたいような叫びたいような、言いようのない、不安。

俺のせいで、もしも両親や妹に何か、あったら・・・・・・。

 

 

いくら待っても、ルナは戻ってこなかった。

俺の家だと迷いようがないはずだ。あの辺りで青い屋根は俺の実家くらいしかない。

どうして、彼女は戻ってこないんだ?もしかして、両親に偶然に会って、もう家にあがっているのだろうか。

そんな期待すらして、自分を奮い立たせる。そうしなければ、視界はどんどん暗くなり、絶望に飲まれてしまいそうだった。

 

 

 

 

 

どんなに待っても戻ってこない彼女に痺れを切らし、俺はゆっくりと自分の家に向かって歩き始めた。

まるで迷子であるかのように、ゆっくりと躊躇いながら、一歩一歩を歩いていく。

曲がり角に差し掛かったとき、そこを曲がることに恐怖心があった。けれど、先に進まなければ、真実はわからない。

結果がどうであれ、現実を目にしなければ、先へは進めない。

一度大きく深呼吸をしてから、俺は実家の見える角を曲がった。

 

 

 

 

「・・・・・・ルナ?」

道の真ん中で、ルナが立っていた。ただ、呆然と。

声をかけても、聞こえていないのか、反応がない。

俺は彼女に近づきながら、再度声をかけた。

「ルナ?どうしたんだ?」

辺りに不穏な気配は、ない。まだ奴等は来ていないのだろうか。

そこに安心していいのか、疑心暗鬼のまま、ルナに近づいていく。それでも彼女は、無表情のまま目の前の光景を見つめていた。

俺の実家がある辺りを。

「・・・・・・ルナ?」

不穏な空気は辺りになかった。

そう、<何も>なかった。

 

 

 

 

「・・・・・・っ!!」

ルナが見つめるその先を、俺も見つめて声を失った。

何も、言葉が出なかった。

頭が真っ白になって、何を考えていいかも、目の前の光景が現実なのかも、わからなかった。

膝が、がくがくと震えた。思わずその場に崩れ落ちると、やっとルナが俺の存在に気づいた。

「・・・・・・ソウマ・・・・・・」

ただ、名前だけを呆然と呼んでくる。

彼女も、それ以上の言葉が見つからないのだ。

きっと、思考も止まっている。

俺と同じように。

 

 

「なん・・・・・・なんだ・・・・・・」

やっと、それだけ言った。

喉がはりついて、言葉を発するのもやっとだった。

目の前の光景が、あまりにもありえないもので、信じられなかったのだ。

こんなこと、ありえない。

頭の中で、その言葉だけがぐるぐるとめぐってくる。それでも、目の前の光景が変わることはなかった。

何もない、この光景が。

 

 

 

・・・・・・<何もない>。

そう、何もなかったのだ。

俺の目の前には、本来ならば青い屋根の家があるはずだった。

赤い屋根の家と茶色の屋根の家に挟まれた、小さな俺の実家が。

イタリアへ旅立つ前と同じように、赤い屋根の家と茶色の屋根の家はたしかにあったのに・・・・・・なかったのだ、俺の家は。

青い屋根の家は、なかった。

あったはずの場所には、何もなかった。

家の痕跡すらなく、目の前にあったのは、ぽっかりと穴があいたかのような、更地だったのだ。

予想もしていなかった展開に、俺は言葉も思考も失った。

ただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

 

 

俺がイタリアで所属していた研究所は、日本にもある。

そいつらが、こんなことをしたのか・・・・・・?!

だけど、俺があの研究所に侵入してからはまだ2週間と経っていない。

暁月のわずかな月光の元で、俺は現実を受け入れきれず、目を凝らして家を探した。

こんなこと、あるはずがない。

ありえない・・・・・・!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じことばかりをぐるぐると考える中で、俺よりも早く我に返ったルナが、近所に情報を集めておいてくれていた。

放心状態の俺を引っ張って、もう一度ホテルに戻った彼女は、ゆっくりとその情報を俺に伝えてくれた。

 

 

 

「ソウマの家は、2ヶ月くらい前に放火にあって全焼しているらしいわ。夜中に突然火の手があがって、当時は両隣の家も被害にあったみたい」

「・・・・・・2ヶ月・・・前・・・・・・?」

「・・・・・・そう。たぶん、ソウマがあの研究所を抜け出した辺りじゃない?」

「・・・・・・っ」

ルナに指摘され、その通りだとすぐに気付く。

同情するような視線を俺に注ぎながら、彼女はベッドに深く座り込んだ俺の隣にそっと座った。

「その後、すぐにあの家は壊されて、更地にされたらしいわ。まるであの家が全焼することが予定されていたかのように、家が片付けられ、更地になるまでは早かったみたい」

「・・・・・・それ、で・・・その・・・・・・」

 

 

 

怖くて、聞けなかった。

家が全焼した。更地になり、なくなった。

その手続きは、誰がしたのだろう。

全焼した家で、誰か生き残ってくれたのか・・・・・・。

それを聞くのが怖かった。けれど、聞かなければ、いけない。

 

 

 

 

 

「・・・・・・誰か、生き残りはいたのか?」

沈黙。

ルナからは答えがなかった。

俯いて、唇を噛み締めている彼女の横顔を見つめ、俺は小さく声を漏らした。

そんな俺の声を聞きつけ、顔を上げて、彼女は先ほどよりも静かな声で、俺に告げた。

「・・・・・・ソウマの両親も、妹も、家と一緒に焼死体となって・・・・・・見つかったって・・・・・・」

 

 

 

 

なんと反応すればいいか、わからなかった。

そっと、ルナが俺の手を握った。その温かさが、苦しかった。

走馬灯のように、家族の思い出が頭の中を駆け巡る。

もう、戻れない時間がただただ、頭の中を流れていく。

「・・・・・・くぁ・・・っ!!」

声にもならない声で、俺は自分で自分をきつく抱きしめた。そうしなければ、泣き叫びそうになったから。

「・・・・・・ソウマ、泣いていいんだよ。・・・・・・泣いて、いいから・・・・・・!!」

俺の頭を抱き寄せながらそう呟くルナの声が、涙声で震えていた。

彼女の細い腰を思わず抱き寄せて、俺は声を殺して泣いた。

 

 

 

 

その時にあった感情は、こんな残酷な惨状を招いた研究所への恨みでも憎しみでもなく、ただただ、家族と家を失ったことへの喪失感、絶望感だけだった。

 

 

 

 

 

  

 

 

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衝撃の展開。

痕跡を残すことなく何もかもをごっそり喪失させた研究所のやり方。ある意味、一番の喪失感と絶望を与えると思います。

 そんなふたりの会話文、今回からは日本編なので、日本語ってことにしておいてください。

 

 

2014.5.6 

 

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