<三十日月>

 

〜後編〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本で<怪盗月読>としてルナと活動するようになってから、随分と年月が過ぎた。

いまだ<失われた誕生石>シリーズは全てそろうわけでもなく、意味不明な暗号の読み取りも続いている。

確実に<失われた誕生石>だけを狙っているため、怪盗として活動する機会はあまり多くはない。

自分としてもおかしな話だが、怪盗としてルナと活動する時間は少なくして、できれば俺は、新しい家族と共に過ごす時間を大事にしたいと思っていた。

 

 

 

 

「父さん、父さん!!」

書斎で持ち帰った仕事を片付けていると、愛しい幼い声が俺を呼んだ。

振り向けば、何かを訴えるような顔で、幼い少年が部屋の扉の隙間から覗いていた。

「どうしたんだ、カズマ?」

幼いその少年を抱き上げながら、俺は思わず頬が緩んでしまう。

愛しい大事な息子。ルナと結婚してから出来た、大切な新しい家族。

「母さんが、来週から広東語で生活しようって言うんだ!!俺、苦手なのに!!」

「・・・・・・あ〜・・・なるほど・・・・・・」

 

 

母となったルナは、随分と教育熱心だった。

普通とはかけはなれた英才教育を息子にひたすら叩き込んでいる。

息子もまた、彼女の血を引いているせいか、それに応えることができるので、余計に彼女をおもしろがらせているのかもしれないが。

まず、週替わりで世界中の言語を彼に教え込んでいる。家の中にいる間は、その言語以外で話すことを禁じているのだ。

もちろんそれは息子だけではなく、俺もルナもそうだ。もはや息子にとって英語は日本語よりも身近な言語になっているかもしれない。

英語やフランス語、イタリア語、中国語等だけではなく、広東語というマイナーな言語にまで及んでいるのだから、ルナの言語力は計り知れない。俺も知らない言語に至っては、夜中に猛勉強しなければ家族の会話についていけないのだから。

 

 

 

さらに、彼女は息子に様々な体力づくりも指導していた。

ルナがサーカス団だったことを知っている俺としては、サーカスの技を彼に教え込んでいるように見えたのだけど。

その中で、息子は特にダーツの矢投げが得意なようで、家の中にその専用スペースまで設けられた。いつの間にか、すっかりとルナ主流でこの家がまわるようになっていた。

そしてルナはまた、息子のために全てを注いでいる。

俺たちが今、<失われた誕生石>シリーズを集めているのもまた、息子のため、というのも大きい。

 

 

 

 

 

「“あら、カズマ。父さんに告げ口に行ったのね”」

流暢なスペイン語で話しながら、ルナが部屋に入ってくる。先ほどまで日本語で俺に訴えていた幼い息子は、彼女に負けず劣らず流暢なスペイン語で返した。

「“俺が広東語苦手なの知ってるのに、母さんはいじわるだ”」

「“苦手なものこそ、挑んで得意にしなくっちゃ。知ってれば、きっとあなたの未来に役立つはずよ”」

「“・・・・・・保育園のみんなは、そんなことしてないよ”」

「“みんなはみんな。うちはうちよ”」

親になれば必ず一度は口にするであろうその言葉を、彼女はスペイン語で堂々と言い放った。

俺の腕の中で不満そうな顔を崩さない息子に、俺は微笑み告げた。もちろん、スペイン語で。

「“じゃぁ、来週は広東語にして、その次の週は日本語にしようか。カズマががんばったご褒美に”」

「“ホントに?!やった!!”」

途端、少年は不満顔から一転して輝く太陽のような笑みを浮かべ、身軽な動作で俺の腕から飛び降りた。元サーカス団員の指導もあって、彼は何の危なげもなしに着地してみせる。

「“じゃぁ、俺、来週がんばる!!約束だからね、父さん、母さん!!”」

「“あぁ、約束だ”」

しっかりと頷いて返してやると、彼は満足そうににっこりと笑ってから、駆け足で部屋を飛び出していく。その背中に、ルナが問いかけた。

「“カズマ、どこに行くの?”」

「“ミノルのところ!!遊ぶ約束してるんだ!!”」

「“遅くならないようにね。チトセちゃんによろしく”」

「“はーい”」

上機嫌な返事を返して、少年は家を飛び出してしまった。

ミノルというのは、ご近所の知り合いであり、怪盗月読の主治医でもあるチトセさんの息子だ。

すっかり彼らも意気投合して仲のいい友人関係を築いているらしい。

 

 

 

 

 

奪われた日常が、形を変えて俺の元に戻ってきたようだった。

失われた家族も愛も、生きる意味さえも、全てルナは与えてくれた。

俺は改めて、傍らに佇みながら息子の背中を見送った彼女を見つめる。

「・・・・・・ソウマ?」

俺の視線に気付いたルナが、そっと首を傾げる。

そう、彼女に出会うことがなければ、こんなにも充実した日々を送ることは出来なかった。

今もまだ、研究所にいたかもしれない。もしかしたら、開発した<レーザー>の罪の重みで、自殺していたかもしれない。家族を失った絶望感で、ヤケクソになっていたかもしれない。

今の幸せな生活は、全てルナが俺に与えてくれた。

 

 

「ソウマ?どうしたの?」

「・・・・・・ルナ、ありがとう」

ありがとう。

君に出会わなければ、こんな幸せがあるとは、こんなに大切なものが手に入れられるとは、思わなかった。

「なによ〜、改まっちゃって」

くすくすとルナは笑う。

出会った頃と変わらぬまま。

「今が幸せだと思ったからだよ」

ルナの頭を一撫でしながら答えれば、彼女はすっと真剣な表情になり、両手で俺の頬を挟んだ。

「だめよ、ソウマ。これからもっと幸せになるんだから。<組織>の連中をなんとかして叩き出して、本当の幸せを、あたしたちは手に入れるのよ」

「・・・・・・わかってる」

 

 

 

 

 

 

何年も怪盗月読として夜を騒がせ、情報を集めているうちに、俺たちと<失われた誕生石>の収集を競っている研究所の連中が、ある<組織>の一部分に過ぎないことがわかってきた。

俺が所属していた研究所もまた、その<組織>の一部。結局、あの研究所も日本にある研究所も、<失われた誕生石>を自主的に集め調べているというよりは、その<組織>の命令でやっているようなのだ。

そして、物騒な拳銃等を振り回して俺たちを追いかけ、家族を殺し、怪盗月読を狙っているのもまた、その<組織>に依頼されたプロたちなのだと知った。

俺たちが相手にしようとしているのは、もしかしたら途方もないほど大きなものなのかもしれない。

それでももう、後には引けなかった。

ここまできたからには、<失われた誕生石>に埋め込まれた<暗号>をひとつでも多く回収し、その秘密にいち早く辿り着く。そうして、いつか公にあの<組織>を潰すことができれば、俺たちは安心して幸せを手に入れることができるかもしれない。

・・・・・・それは、砂の中から小さなダイヤを見つけるような、とても可能性の低い、気の遠くなるような望みなのかもしれないが・・・・・・。

俺もルナも、それを知っていて、それでもその希望を捨ててはいなかった。

俺たちは死ぬわけには行かない。息子を置いて、死んだりなんかできない。

まして、息子にこの因果を背負わせるようなことは、絶対にできない。

「・・・・・・カズマのためにも、がんばらないと、な」

「そうよ、ソウマ。あたしたちにはカズマがいるんだから」

母の顔になり、ルナはしっかりと頷く。

カズマに怪盗月読の因果は背負わせない。それでも、ルナが必要以上の英才教育を施しているのは、万一のことに備えてなのだろうと俺は察している。

あの子には、普通の幸せを手に入れてほしいと願っているが・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今夜は三十日月ね」

ふと、俺の部屋の窓を見上げながら、ルナは言った。まだ陽も暮れていないのだから、月なんてそもそも見えるはずがない。

「まだ気が早いよ、ルナ。今夜は月が見えるかもしれない」

「いいえ。あたしは毎晩月を観察しているんだから、間違いないわ。今夜は月の出ない、三十日月よ」

不満そうに口をとがらせながら、ルナは返してきた。そんな彼女の言動に、俺は少し驚いた。

「毎晩月を観察しているんだ?ずいぶんとマメなことをしているんだね」

「当然よ。月はあたしたちのシンボル。毎晩月に祈るのよ」

何を祈るのか、なんてそんな野暮なことは聞かない。俺たちの願いは、ただひとつ。

俺は彼女の肩を抱き寄せ、まだ陽の高い空を窓から見上げた。

「今夜も祈るのか?」

「いいえ、月のない夜は願わないの。三十日月はすべての始まり。希望が叶う日なんだから」

「へぇ?今までも叶ってきたのかい?」

随分とロマンチックなルナの台詞に、思わずからかうように笑いながら問えば、彼女は軽く俺の頬をつねってから答えた。

「忘れちゃったの?ソウマがプロポーズしてくれたのは、三十日月の夜だったのに」

「・・・・・・あ〜・・・そうだっけ・・・・・・」

「三十日月の夜は、どんな小さな願い事でも叶うのよ。あたしはそう、信じてるの。この夜は、すべての始まりだから」

「・・・・・・そっか・・・・・・」

 

 

 

それは、ルナの中での決意の表れなのかもしれない。

怪盗月読として活動し続ける、彼女の覚悟でもあるのだろう。

それでも、彼女は月に願いを託しながら、俺たちの前では笑っていてくれる。いつだって、ずっと。

俺は、そんな家族の笑顔を守りたい。もう二度と、失わないように。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・ルナ」

「何?」

「三十日月の願いを叶えてくれるか?」

「あら、何かしら?」

上目遣いで期待するルナに、俺はいじわるな心が疼いてくすりと笑いながら答えた。

「今夜はしょうが焼きが食べたいな」

「・・・・・・それは月にじゃなくて、あたしへの願いよね?」

「いいや。俺にとって月は君だよ、ルナ」

いつだって俺の前で光り輝いている、月の女神。

初めて出会ったときからずっと、君は輝き続けている。

「ルナ・・・・・・一緒に幸せになろう」

それは、途方もない願いだろうか。叶わない望みなのだろうか。

それでも俺は、新しい家族とずっと一緒にいたいと願う。

どれだけ闇に染まることになっても。

「・・・・・・えぇ、もちろんよ」

同じ覚悟で、同じ闇に染まってくれた大切なパートナーが、力強く頷いてくれる。

俺はその存在に救われながら、今夜は見えない月を見上げた。

 

 

 

 

 

 

俺たちは月に見守られながら出会い、心を通わせ、共に人生を歩むことになった。

月が満ちて欠けていくように、俺たちの人生にも満ち欠けがあった。

絶望に暮れることばかりだったあの夜の出会いが、こうして今の幸せを俺に与えてくれた。

だからこそ祈る。

どうか、今の幸せが崩れることがないように、と。

そして、息子の未来には、さらなる幸せが訪れるように、と。

 

 

 

 

ソーマとルナ。

ふたつの月の満ち欠けは、まだまだこれから始まったばかりなのだと信じて・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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WEB拍手小話でもあった話の一部をからめながらの最終話です!!

ふたりの息子、カズマも登場し、これでこのシリーズはおしまいとなります。

初めてこのシリーズをご覧になられた方にとっては、中途半端な終わりに感じられると思います(汗)

ですが、ここから先の話は、まさに「あたしの恋人」の話へとつながっていくのです。

元々、このお話はこのシリーズのスピンオフのお話として書き始めました。このふたりの息子、カズマが活躍するのが「あたしの恋人」になります。

この話が、「あたしの恋人」にご興味を持っていただけるきっかけになればいいな、と思っています。

 

ソウマとルナ、孤独と闇に囚われたふたりのお話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

これで、「紫月の物置き場」5周年の記念番外編とかえさせていただきます。

今後とも、「紫月の物置き場」をよろしくお願いします★

 

紫月 飛闇

 

 2014.5.24

 

 

 

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