<眉月>
〜前編〜
自分の好奇心だけで研究を続け、<それ>を読み取る装置を開発したときの達成感は、本当に心地のいいものだった。
高校を卒業後、海外の大学へと渡り、学生生活を送っていた。その途中で、その研究所に誘われたのだ。
学費を免除する代わりに、勉強の傍ら、ある研究に励んでほしいと。どうやら、俺の論文のひとつがその研究所の幹部の目にとまったらしい。
俺は興味をそそられて、研究所に足を運んだ。
それが、すべての始まりであり、終わりだった。
研究所からは一歩も出ることを許されなくなり、ひたすらに研究することを求められた。
特にそれは苦ではなかった。その研究がなかなかおもしろかったし、特に外に出て何かをしたいと思ったこともなかったからだ。
ノイローゼになる仲間たちもいたが、俺は気にならなかった。むしろ、好きなだけ研究に打ち込める環境に感謝すらしていたほどだ。
だが、もっと疑うべきだった。
この研究結果によって、何が起こるのかを。研究所を抱えるその機関は、何を望んでいるのかを。
ただの研究に留まるはずがないことは、少し考えればわかったことなのに。
・・・・・・どうすればいいのだろう・・・・・・。
このままあの<研究結果>が知れ渡れば、たちまち世界は混乱するかもしれない。
・・・・・・戦争を起こす引き金にすら、なる恐れだって・・・・・・。
そう考え、ぞっとする。背筋が寒くなる。
なんてことをしてしまったのかと、後悔してもしたりない。
どうすればいい・・・・・・。
どうすれば、この罪を償えるというのだろう・・・・・・。
もう、何も知らず、逃げ出してしまえば・・・・・・。
自分のしたことが怖くなって、研究所を夜中に抜け出した。脱走したのだ。
俺には脱走の意思が今までなかったことから、監視が緩かったこともあり、結構簡単に脱走することができた。
あてもなくイタリアをふらつき、そして、あのドゥオーモに辿り着いたのだ。
あの高さから夜景を見渡していると、望郷の念にもかられた。もう何年も故国に・・・・・・日本に帰っていない気がする。
大学はまだ在学扱いにはなっていた。だけどもう、あの学校に戻ることはできない。
・・・・・・もう、あの研究所に戻ることもしたくない。
・・・・・・けれど、開発してしまったあの装置を、せめて壊すことでもできれば・・・・・・設計書を燃やして、この世からなくさなければ・・・・・・。
死にたいと思っていたはずの心は、不思議とそんな気持ちに変わっていた。
死んで逃げるより前に、この世に生み出してしまった<脅威>を排除しなければ。
そう思うようになっていた。
おそらく、そう気持ちが切り替わったのは、やはりドゥオーモの上で出会った、あの不思議な少女のお陰だろう。
彼女に何か特別なことを言われたわけではないが、あの新月の夜、心の中も闇に呑まれて<死>を選ぼうとしたそのタイミングで登場した少女に、すべてを変えられたのだ。
夜に愛されているかのような、夜闇がしっくりと似合う、黒服の少女。
その中で、暗闇の中でもわかる、キラキラと輝く銀色の髪がまた、印象的だった。
夜の妖精。
そんな風に見えた。
だからこそ、また会いたいと思ってしまった。
それは、神に縋るような気持ちだった。
夜闇の神に。己の罪を懺悔したくて・・・・・・。
手の中に握り締めたままのチケット。
闇夜の妖精から渡されたもの。
今夜、この町で行われるサーカスのチケット。
なぜあの少女は、これを自分に渡したのだろう。
このサーカスを観て、何が・・・・・・?
けれど、俺には何もなかったから、その一枚のチケットに縋った。
それを俺に託した、銀髪の妖精の意図を知りたくて・・・・・・救われたくて。
自分のした罪に、その深い闇に飲まれそうになっている俺にとって、それは一条の光だったのだ。
夜の闇にほんのわずかだけ細く光る、まるで今夜の眉月のように。
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2013.11.27