<眉月>
〜後編〜
「今夜は随分とやる気だな?」
リハーサルの最中、パートナーでもある弟分にそう言われ、どきりとした。
「・・・・・・別に、いつも通りよ?」
「そうかぁ?!なんか、いつもと違う気がするんだけどなぁ」
「さぁさぁ、そんなこと気にしないで練習の続きしよっ!!」
ぶつぶつとこだわる少年の気を逸らすために、あたしは彼の背中を押して声をかける。
この心配性の弟分の鋭さには、時々冷や汗をかかされる。おちおち隠し事もできない。
・・・・・・そう、本当は、結構はりきっていたりする。
理由は・・・・・・ある意味明白。
この前の新月の夜に出会った、あの根暗そうなお兄さん。
彼に今夜のサーカスのチケットを渡したから、彼が観に来てくれるのではないかと期待して、はりきっているのだ。
だけど、自分でもわからない。
なぜ、彼がサーカスを観に来ることを、楽しみにしているのか。
あたしが新月の夜に彼に渡したチケット。
それは、あたしが出演するサーカス団の公演チケットだったのだ。
ヨーロッパを周遊するサーカス団で、今はここ、フィレンツェに滞在している。
あたしが担当するのは綱渡り、空中ブランコ、それからピエロ。
この鋭い弟分とは、空中ブランコでコンビを組んでいるのだ。
そして、幼いころからサーカスで叩き込まれたこの運動神経を使って、あたしは夜な夜な悪名高い金持ちから、貧しい施設へと財を流しているのだ。
・・・・・・頼んでもいないのにくっついてきている弟分には、ちょっと扱いに困ってはいるけれど。
だけど、空中ブランコの相性はバツグン。あたしと彼で、サーカスの中盤を大盛り上げするのだ。
今夜もまた、彼を魅了する素敵なサーカスを見せてあげよう。
死を望む哀れな青年に、ひとときの夢を。
そう、きっとあたしは、彼を救ってあげたいだけなのだ。
あたしのできる、サーカスというとびきりのショーで。
だからきっと、やる気になっているだけなのだ。
自分でそう納得して・・・・・・。
「今夜もお疲れ様。うまくいったな」
サーカスは大成功だった。
あたしたちの空中ブランコも十分に観客を楽しませることができたと思う。
弟分の労いの言葉に、あたしはにっこりと返す。
「新技も成功したもんね。今日は調子がいいと思ってたんだ!!」
「確かに調子よかったな。お客さんも喜んでたし」
「そうよね、喜んでいたわよね!!」
だから、きっと彼も喜んでくれただろう。
来てくれただろうか、観てくれただろうか、あたしたちのショーを。
あたしは気になってうずうずしてしまい、たまらず楽屋から飛び出し、笑顔で帰っていく観客の列を見守った。
あの笑顔。
あたしはみんなのあの笑顔を見るのが好き。
わくわくどきどきした後の、興奮冷めやまない笑顔。
あたしが、<銀月の妖精>と呼ばれながら義賊の真似事をしているのも、笑顔を見たいからっていうのもある。
貧しい人たちの明るい笑顔を。
・・・・・・だから、あのお兄さんも笑顔になってくれているといいけれど・・・・・・。
きょろきょろと辺りを見渡し、帰り行く観客の顔をひとつひとつ確かめる。
「・・・・・・いた・・・・・・!!」
いた。
確かに、見つけた。
あのときの「死にたい」と呟いた、あのお兄さん。
相変わらず、根暗そうな顔で、猫背で歩いてる。
でもわかる。
あのお兄さんが、イタリアでは珍しい東洋の顔立ちをしているからっていうのもあるけど、そうでなくても、なぜかあたしの中で強く印象づいていた。
彼の表情を見てみると、笑顔ではなかった。
無表情。
こちらががっかりするくらいの無表情。
先日といい、どうも彼は感情が欠落しているのではないだろうか。
あまりの心労でそうなってしまう人もいることは、あたしも知っている。
そうも彼を追い詰めているものはなんだろうか。
あたしは彼を見つけたことでうれしくなり、声をかけようと近寄った。
・・・・・・が、声をかける前にはっと気づいた。
あたしが彼と会ったときの姿は、<銀月の妖精>としての姿だった。
変装した姿だし、声色も変えている。それなのに、こうして素顔のあたしが彼に声をかけるのは・・・・・・<銀月の妖精>の正体を明かすことになる。それは、正しい行動ではないだろう。
いまや<銀月の妖精>はICPOにさえ追いかけられる犯罪者扱い。義賊とはいえ、盗みを働いていることには違いないから。
だから、彼にその正体を明かすべきではない・・・・・・。
けれど、ここで声をかけなければ、二度と会えない。
会えなくなるのは・・・・・・なんとなく、寂しい気がした。
あたしはしばらく悩んだ末に、賭けに出た。
自分の正体を明かさずに、彼との縁がここで切れてしまわないための、賭け。
あたしは人ごみに紛れて彼に近づき、そっと彼の胸ポケットにメモを忍ばせた。
それは、本当に賭け。
彼がこれに気づくのかどうかすらも、わからないのに。
でも、このまま彼を黙って見送ることはできなかったのだ。
それがなぜなのか、自分でもわからないけれど。
彼が笑顔でなかったからかもしれない。
彼が笑顔になれない理由を知りたいと思った。
彼を笑顔にしてあげたいと思った。
きっとこの気持ちは、この国で珍しく出会った東洋人だったからかもしれない。
同胞のよしみで、助けてあげたいお節介な気持ちがうずいたのだ。
・・・・・・あたしもまた、このサーカス団で唯一の東洋人だから。
去っていく彼の背中を見つめながら思う。
また、会えればいいな、と。
それはもしかしたら、今夜の眉月のように、ほんのわずかの可能性しかないものかもしれないけれど。
<彼女>のお節介モード全開な感じで!!
そして、こちらもまだ名前を明かさない。のんびりまったりな展開です。
そのため、紫月も特にコメントがしようがないんですけどねぇ(笑)
2013.11.27