<上弦の月>
〜前編〜
サーカスを観た。
それはとても、華やかな舞台だった。
サーカスというものを生まれて初めて観たから、その超人的な能力に感心させられた。
同時に、その筋肉量や身体能力を調べてみたい、なんて思うのは、根っからの研究者だなと自嘲するしかない。
それでも、鬱々としていた思いから、一時的に開放されて楽しむことはできた。
しかし、結局あの少女がいるのかどうか、気づけなかった。
銀髪の闇夜の妖精。
サーカスに登場する子供たちの中にも、銀髪の子はいなかった。
あの不思議な少女を見つけることができなかったことが、ショックだった。
もしかしたら、あのサーカスに出ているわけではないのかもしれないが。
再び会えるのではないか、と期待をしてしまっただけに、それを打ち砕かれてショックを隠せなかった。
周りの人々が興奮した様子で笑顔で帰っていく中で、俺はその寂しさを抱えたままサーカス会場を後にした。
ふらふらと町の中を歩いていて、ふと、胸ポケットに何かが入っているのに気がついた。
「・・・・・・っ!!」
その紙を広げて、驚いた。
そしてすぐに辺りを見渡す。
・・・・・・いたんだ。
やはり、<彼女>はここに、いた。
サーカス団の中にいたのか、観客の中にいたのかはわからないが、いたのだ。
あの、銀髪の闇夜の妖精が。
小さなメモ用紙には、たった一言だけ書いてあった。
『上弦の月の夜、あの場所で』
名前もない、場所の表記もない、曖昧だらけのその一言だったが、俺にはわかった。
誰からなのかも、どこへ行くのかも。
いくら見渡しても、あの美しく輝く銀色の髪は見当たらない。
絶対に、彼女の残した手紙だと思うのに・・・・・・。
俺はメモに残された文字をもう一度見つめ、夜空の月を見上げる。
上弦の月の晩に、会うことができる・・・・・・。
俺はその日に期待を寄せて、ひっそりとその場を後にした。
それから月が上弦の月になるまでが待ち遠しかった。
自分でも不思議なくらいだった。
誰かに、何かに、期待するなんて。
けれど、あの少女と再会できることへの期待感は、恋心などといった浮ついたそれとは違うものだとはわかっていた。
そういうものではなく、ただただ、神に縋るような、救いを求める気持ちだったのだ。
それから、直感。
理屈も理由もわからないが、あの銀髪の少女に、懐かしさを覚えたのだ。
それがなぜかはわからない。
交わした会話もイタリア語なのだから、あの子に望郷の念を覚えるなんて、不思議な話だ。
顔もはっきりとは見えていないのだし・・・・・・。
同じのはずがない。あの夜に愛された妖精が、自分と同じ、日本人ではないか、なんて・・・・・・。
ドゥオーモの上から眺める町を見下ろしながら、そんなことばかり考えていた。
あの夜よりも明るく街が見えるのは、気持ちの問題なのか、それとも夜空に月があるからだろうか。
「こんばんは、お兄さん」
気持ちいいくらい見事な半分の形をした上弦の月を眺めていると、すぐ横から声をかけられた。
見れば、また柵の上という危ない場所で、不思議なくらいの安定感を保ちながら、少女が立っていた。銀髪を月明かりで光らせて。
「この前は、サーカス団に来てくれてありがとう。少しは、死のうという気持ちは和らいだかしら?」
軽く首を傾げながら、少女は俺を見下ろしながら尋ねてくる。
顔は、月明かりの逆光でよく見えない。
俺は彼女の問いに、肩を軽く竦めて返した。
「・・・・・・さぁ、よく、わからない」
「わからない?でも、こうして死なないであたしと再会できたわ。だから、死ぬのはやめたんじゃないの?」
「・・・・・・そう・・・かもしれない・・・・・・。・・・実際、俺が死のうが死ぬまいが、俺が犯した罪は・・・消えない・・・・・・」
無気力に、俺は淡々とそう返す。それに対し、妖精はただただ不思議そうに首を傾げるだけだ。
「・・・・・・罪が消えない・・・・・・?お兄さんは、断罪を求めているのかしら?」
月夜の妖精の立ち居地は変わらないのに、声色だけが静かに変わった気がした。
「お兄さんは、何の罪を犯したのかしら・・・・・・?」
それは、責めるような口調ではなく、むしろ哀れむような同情するような、そんな感情が表れていた。
俺は、何も言えなかった。答えられなかった。
自分の犯した罪。
・・・・・・そんなことを、この少女に言うつもりはなかったのに、思わず口をついて出てしまったのだ。
これ以上は言えない。
言えば・・・・・・知れば、巻き込んでしまうかもしれないから・・・・・・。
「・・・・・・あたしたちって似ているところ、いっぱいあるのね」
くすりと笑って、少女がすとん、と座り込む。もちろん、柵の上に腰掛けて。
それでも、先ほどよりも距離が近くなり、彼女の表情が見えやすくなった。
悲しそうな目をしていた。
吸い込まれそうなほど、夜空のように黒い瞳で。
・・・・・・黒い瞳?
銀髪に、黒い瞳?
いや、ありえるのかもしれないが・・・・・・珍しい。
距離が近づき、顔もよく見れば・・・・・・西洋の顔つきとは、異なるように見える。
しかも今、彼女は何と言ったか・・・・・・?
『似ているところがいっぱいある』とは・・・・・・?
「“ねぇ、あなたも日本人でしょう?”」
突然紡がれた言葉は、先ほどまでの言語、イタリア語ではない。
俺の母国語である、日本語。
「“あなたも・・・・・・って・・・・・・まさか、君も、日本人・・・・・・?!”」
つられて思わず、俺も日本語で問い返してしまう。
驚く俺にくすりと笑い、夜の妖精は月を見上げた。
「“たぶん・・・・・・ね”」
「“たぶん?”」
「あたし、捨て子なの」
最後の一言は、今までと同じ、イタリア語で。彼女にとって、日本語とイタリア語、どちらが話しやすい言語なのだろうか。
「捨て子・・・・・・」
「病院の話では、あたしは日本人だろうってことだけどね。あんまり実感は沸かないけど」
淡々と少女はそう告げる。その間もずっと、冷たく鋭い月を見上げている。
「・・・・・・日本に、帰りたいかい?」
なぜ、そんなことを聞いたのだろう。自分でもわからなかった。
そんな俺をあざ笑うかのように、彼女は俺に振り向いて笑った。
「さぁね。わからないわ。親の顔もわからないもの」
それは、ある意味当然の答えだった。
彼女にとっては、今の生活は彼女のすべてなのだろう。
自分が日本人だと知ったところで、イタリアで暮らす彼女の生活が、壊れるわけじゃない。
「・・・・・・君はずっと、ここフィレンツェで暮らしているのかい?」
こんなにも人に興味を持つのは初めてだった。不思議な少女だ。何か、惹きつけられる。
そんな自分に俺が戸惑っている間にも、少女はくすくすと笑いながら答えてくれた。
「不思議なことを聞くのね、お兄さん。お兄さんは、サーカスを見に来てくれたのでしょう?それなのに、あたしがここでずっと暮らしているとでも?」
「え・・・・・・?!それじゃぁ、やはり君はあのとき、サーカス団にいて・・・・・・?」
「えぇ、もちろんよ。だから、ヨーロッパ中を巡っているの」
サーカス団にいるのだと知れば納得するほどのバランス力で、少女は再び柵の上に立ち上がる。
綱渡りの綱よりも、この柵は安定性があるとでも言いたいのだろうか。
持っている運動能力が違うんだな、などと思わず分析してしまう自分の思考回路にもはや呆れてしまう。
「ねぇ、お兄さんの名前は何ていうの?」
そんな間に、少女がそう、尋ねてきた。
同じ日本人で。
それなのに銀髪で。でも、吸い込まれそうなほどの黒い瞳で。
サーカス団の中で活躍し、ヨーロッパ中を巡っている。
その少女が、俺の名を尋ねてくる。
俺の名前。
あの研究所では、呼ばれることのなかった、名前。
ずっと、コードネームで呼ばれていた。
俺の名前にちなんで、<MOON>と。
「・・・・・・ソウマ」
「ソウマ・・・・・・。ふふ、やっぱりあたしたち、同じね」
くすくすと再び少女が笑う。
その意図が分からずに少し首を傾げながら何も言わずにいると、少女は器用にくるりと柵の上で一回転してから、俺に向き直った。
そして、自らの髪を強く引っ張ったのだ。月明かりに輝く、銀髪を。
すると、ずるりとその髪はずれ動き、なんと、その下から黒髪が靡いていた。
彼女の瞳と同じ、絹のような綺麗な黒髪が。
その行動に驚く俺の前で、黒髪の少女はまだくすくすと笑いながら、告げた。
「あたしの名前は、ルナ。ね?同じでしょう?」
・・・・・・ルナ。
同じだった。
俺も、彼女も。
同じ、月の神の名を持つ者。
ふたりの月の名を持つ者たちが出会った夜。
それを見守る上弦の月は、何かの変化の始まりのようにさえ、見えた。
やっとですよ!!やっと、名乗りました(笑)
そして、少しは話が動き出しそうな感じになってきました。
作中にありましたが、彼らが話している言語は、専らイタリア語だったりします。
なので、「”〜”」が日本語という、ちょっと変な感じ。
おそらく、ルナにとっては日本語の方が慣れない言語なのでしょう。ソウマの方も、一応イタリアの大学に留学してたくらいなので、不自由のない程度には話せる・・・って感じなのでしょう。ウン。
2013.12.11