<満月>
〜前編〜
その夜は、満月だった。
赤く光る丸いその月が、今夜は不吉に思えて胸がざわついた。
嫌な予感がした。漠然とした不安感。
それが何なのか、わからなかったけれど。
それでもしょうこりもなく、俺はまた、ドゥオーモの上にいた。
彼女に会うために。
なぜ、彼女に会おうと思うのか。力になってほしいと思っているのか。
俺が抱える罪を懺悔したいと思っているのか。
「あたしじゃ力になれないかな?」
寂しそうに俺にそう尋ねた、昼間の彼女。
あどけない少女だった。
夜に会うときに見せる、大人びた雰囲気とは違った。
昼間の彼女の笑顔は、なんだかほっとした。年相応の笑い方もできるのだと、安堵したのかもしれない。
それでも、そんな彼女に俺は一瞬縋ろうとしてしまった。
助けを、求めようかと悩んでしまった。
・・・・・・だめだ。これは、俺の罪。
どうすればいいのかわからないが・・・・・・だが、あの子を巻き込んでいいことはない。
どうにかして設計書だけでもこの世からなくさなければならない。
そうしないと、やつらはきっと・・・・・・。
最悪のケースを頭に浮かべ、唇をかみ締め両手を握る。無力な自分が情けなくなる。
それでも、自分で巻いた厄災はなんとかしなければならない。
「やはり・・・・・・一度研究所に戻るしかないのか・・・・・・」
あの設計書は研究所の中だ。今もまだ、彼の研究が続けられているのだとしたら・・・・・・<あれ>が・・・・・・<レーザー>の使用方法が知られてしまったら・・・・・・。
「・・・・・・俺は、なんてことを・・・・・・っ!!」
深い深い闇が襲ってくる。
息苦しいほどの、暗黙。
「・・・・・・っ」
もう、どうしたらいいのか、わからない。
いや、わかっている・・・・・・わかっているが、その一歩を踏み出す勇気がないのだ。
こんなとき、あの少女と話をしたくなる。彼女と話していると、この闇から一時的に救われる気がするのだ。
彼女もまた、自分とは違う、深い闇を抱えているように見えたから。
夜空を照らす満月を見上げ、その染め上げられた紅にぞっとする。
なんだろうか、この不安感は・・・・・・。
なぜ、今夜の月はあんなにも赤いのだ・・・・・・。
まるで、血塗られたように・・・・・・。
赤い月が夜空に浮かぶ間、俺はずっと彼女を待ち続けた。
<銀月の妖精>と呼ばれている少女を。
今夜は彼女が現れるような気がしていた。そしてきっと、それは間違いないのだと思う。
このドゥオーモからも、とある箇所でやたらとヘリコプターが飛び交っているのが見える。おそらく、あの辺りに彼女が予告状を出したのではないかと思っている。
きっと今夜も、彼女はすぐにここに来る。
そして他愛もない話をして、また夜の闇に溶けてしまうのだろう。
それでいい。ほんの少しだけでいい。
彼女と話して、安心したかった。
この赤い満月がもたらす不安感を払拭したかった。
それなのに・・・・・・。
「・・・・・・今夜は、はずれか・・・・・・?」
いくら待っても、彼女は現れなかった。
いつのまにか、あんなに夜空を賑わしていたヘリコプターの姿もない。
今夜は彼女は現れなかったのか・・・・・・?!
けれど、なぜかこの場を離れようとは思わなかった。何かしらの可能性を期待していた。
いや、期待ではなく、予感があったのだ。
しかも、嫌な予感が・・・・・・。
「・・・・・・あら、待っててくれたのね、ソウマさん」
どれだけ時間が経ったのか。夜風に体が冷えてきたころ、小さな声で、けれど確かにその声が聞こえたときは、本当に安堵した。思わず、彼女の声がした方向を見て・・・・・・そして、絶句した。
「それは一体・・・・・・」
いつものようにドゥオーモに現れた彼女は、ぐったりと柵に寄りかかっていた。
少しでも気を抜けば地面に落下しそうな不安定な場所で、それでも器用に体を休めていた。
それでも何よりも俺を焦らせたのは、そんな疲れ切った彼女が傷だらけだったことだった。
あちらこちらから血を流し荒い息を繰り返す少女の元に、俺は慌てて駆け寄った。
「一体、それはどうしたんだ?!」
「・・・・・・ちょっと、今夜はここで話すのはキツイかも・・・・・・。この下まで来れる?あたし、このまま下りるから」
そう言うや否や、<銀月の妖精>は、その銀色の髪をなびかせながら、ふらりと体を宙に投げ出した。
「あっ・・・・・・!!」
俺が小さく叫んだときにはもう、彼女の体は地面に向かって落下を始めていた。
俺はなんとか逸る気持ちを抑えながら、もつれる足にイライラしつつ、なんとかドゥオーモの階段を駆け下りて地上に向かった。月明かりを頼りに、彼女が落ちた辺りを見渡す。
まさかとは思うが、着地に失敗していたら・・・・・・。
不穏な想像をしてしまい、ぞくりと背筋を震わせる。
震える膝を叱咤して見渡していると・・・・・・見つけた。
壁に寄りかかるようにして座り込んでいる、彼女の姿が。
とりあえず地面に叩きつけられていたわけではなかったことに安堵しながら、俺は彼女に近づいた。
「一体、何があったんだ?その怪我は・・・・・・」
「・・・・・・わからない。いつも通りだったはずなのに・・・・・・」
だるそうに荒い息を繰り返しながら、彼女は答える。そして懐から掌より小さめの宝石を取り出した。
「これが今夜の獲物。闇取引で入手された宝石だから、さっさと盗んでお金に換えようって思ったのに・・・・・・」
「警察にやられたのか?!」
「・・・・・・違う」
俺の問いかけに、彼女は忌々しそうに首を横に振る。
いくら宝石泥棒だとして、いくら<銀月の妖精>と呼ばれている義賊だとして、警察がこんなにも彼女を傷つけるとは確かに考えにくい。腕にも足にも傷があり、血が流れ続けている。
「あいつらは、警察どころか、もっとヤバイ奴らだった・・・・・・。この宝石を執拗に狙ってて、あたしを追い回してきたわ・・・・・・」
「その宝石を・・・・・・?」
――――――――ドクン。
なぜか、いやな予感が、した。
ヤバイ奴ら。宝石を執拗に狙っている。
彼女の言葉に、胸が不安で高鳴った。
「この宝石を置いていけって、何発も銃弾を撃ってきて・・・・・・。・・・・・・あたし、初めてだった、銃を本気で撃たれたの・・・・・・」
いつもは余裕顔の彼女の顔が、泣きそうな顔に変わる。宝石を握り締める手が震えている。
「・・・・・・その宝石を渡して逃げようとは思わなかったのか?」
「・・・・・・怖くて、よくわからなかった。とりあえず逃げ切ればいいんだって思って・・・・・・」
そのときの恐怖を思い出したのか、ぶるりと彼女は体を震わせた。
そんな彼女が痛々しくて、俺はそっと彼女の肩に手を置いた。途端、弾かれたように彼女が俺に抱きついてきた。
「・・・・・・怖かった・・・・・・っ!!本当に、殺されると思った・・・・・・っ・・・・・・!!」
肩を震わせ、俺の胸の中に顔を押し付ける彼女の背中を、落ち着かせるように何度も撫でる。
その一方で、俺の中の不安がどんどん増幅していく。
手段を選ばない、人殺しも厭わない、<ある宝石>を求める奴ら・・・・・・。
「・・・・・・そいつらは、何か言ってなかったか・・・・・・?」
「・・・・・・よく、わからなかった・・・・・・。たしか・・・・・・『それを<シリーズ>だと知って、手に入れたのか』って・・・・・・」
「・・・・・・<シリーズ>・・・・・・」
予感が、確信に変わる。不安が、的中する。
・・・・・・奴らだ・・・・・・。
研究所の奴らが、動き出した・・・・・・。
彼女を、傷つけた・・・・・・!!
「ソウマ・・・・・・さん・・・・・・?」
「・・・・・・ごめんっ・・・・・・」
無力な自分が情けなかった。
俺がぐずぐずしていたから、運命の輪は動き始めてしまった。
そして、彼女を傷つけた・・・・・・こんなにも・・・・・・。
自分の情けなさが悔しくて、情けなくて、気づけば俺は涙を流していた。
傷つき恐怖に震えていた彼女が、そんな俺を心配そうに力なく名を呼びかけてくる。そんな彼女に、俺は謝罪の言葉しか出ない。
・・・・・・ごめん、俺のせいで、君を巻き込み、傷つけた・・・・・・っ!!
「・・・・・・なぜ、ソウマさんが謝るの・・・・・・?」
当然の彼女の問いに、けれど、俺は答える術はない。
言えない。俺の罪は、動き始めてしまった・・・・・・。
もう、手遅れなんだろうか・・・・・・。
もう、止めることもできないのだろうか・・・・・・。
「ごめん・・・・・・ごめん・・・・・・っ!!」
俺は何度も何度も謝罪だけ繰り返し、傷つき弱った少女の体を抱きしめるしかできなかった・・・・・・。
血を浴びたように真っ赤な満月が、静かに俺たちを照らしていた・・・・・・。
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さて、満月になって話が大きく動いて参りました。
とはいえ、「戦い」をメインにしたいわけでもないこのシリーズは・・・・どこへ行くのでしょうね?!(笑)
とりあえず、何かを知っている様子のソウマ。傷だらけのルナをどうするつもりでしょうか。
次回は、じつはルナ視点ではないので、ちょっとウキウキしながら書きました♪
2014.1.10