<更待月>
〜後編〜
ルナと会うべきではない。
そう思って、ドゥオーモの上に行くことはしなかった。
けれど、なぜかフィレンツェの町を離れようとは思わなかった。
ルナと会うつもりはないと思っているくせに、まるで未練があるかのように、ドゥオーモを中心に、フィレンツェの町を月明かりを頼りに徘徊していた。
「見つけたっ!!やっぱり近くにいると思ったんだよな!!」
聞きなれた少年の声。
驚いて振り向けば、相変わらず不機嫌そうな表情のまま、ジョンがこちらに走ってきていた。
「・・・・・・ジョン」
「馴れ馴れしく名前で呼ばれるのは結構ムカツクな」
「・・・・・・ごめん」
「謝るなよ。それもムカつく」
なんだか難しい年頃だ。
少年ジョンのイライラした態度に付き合いながら、俺はどうしたらいいものか、戸惑っていた。
どうやらここにルナは一緒にいないようだ。安心したような、がっかりしたような気分。
だとしたら、なぜ、ジョンは俺に話しかけてきたのだろう・・・・・・?
あんなに俺と話すことも関わることも嫌っていたのに・・・・・・。
「ちょっとついて来いよ」
「え・・・・・・?」
「いいから、来いって。ルナがアンタに会いたがってるんだよ」
「ちょ・・・・・・待って、ルナだって?!」
思わず手を引く少年の腕を思い切り引いてしまう。さすがに少年も俺の力には抗えずに、不服そうに足を止めた。
「なんだよ?ルナに会いたくないのか?」
「会いたい・・・・・・けど、でも、だめなんだ・・・・・・」
「だめ?何がだめなんだよ?」
「それは・・・・・・」
不機嫌に問い詰めてくる少年に、俺はたじたじになる。
そして、その理由を告げるべきかどうか、迷う。
これは、俺自身の問題だ。
いつまでも彼女に甘えていられない。
このまま彼女と関わり続ければ、今度は俺の命を狙う研究所のやつらに、彼女も狙われてしまうかもしれない。
そんな危険なこと、避けなければ。
「危険・・・・・・なんだ。俺と関わることは・・・・・・」
「んなの、十分わかってるよ。オレもルナも」
「そうだけど・・・・・・そうじゃなくて・・・・・・」
どう言っていいか、俺はまごまごとしてしまう。
そんなはっきりしない俺の態度にしびれを切らしたジョンが、さらに俺に言った。
「危険でも何でも、もうあと少しの間だけだ。クリスマス過ぎたら、どうせここを出るんだから」
ジョンのその言葉の意味を咄嗟に飲み込むことができなかった。
言われた言葉の意味がわからず、問い返すことすらせずに呆然と彼を見返していた。
そんな俺の反応に、ジョンは呆れたように言い加えた。
「クリスマス公演を最後に、オレたちサーカス団がこの町から移動するんだよ」
そうか・・・・・・。
すっかり忘れていた。
彼らはサーカス団。ずっとこの町にいるわけじゃない。
クリスマスを過ぎたら、もうこのフィレンツェの町からいなくなってしまうんだ・・・・・・。
「次は・・・・・・どこへ・・・・・・?」
それを聞いてどうするつもりなのか。
口にしてから、自分で自分に問う。
ルナたちがどこへ行くかを知って、追いかけるとでも?
そんなこと、できるわけがない。
命を狙われている身ならば・・・・・・。
「さぁ?団長が次の町を気まぐれに決めるし。アンタは日本へ帰るんだろ?だから、最後の別れでルナに会わせてやるって言ってるんだよ」
ついて来いと言わんばかりに、ジョンが顎で前を指しながら歩いていく。
とぼとぼとついていきながら、俺はまた悩み始めていた。
日本へ帰る。
不思議なことにそれを考えたことがなかった。
研究もなくなり、大学にもいられなくなったのだから、当然、誰もが俺は日本へ帰ると思うだろう。
・・・・・・そうだ、日本へ帰ればいいのだ。奴等も日本まで追いかけてはこないかもしれない。
「・・・・・・そうだな。日本へ帰る・・・・・・かもしれない」
「だから、ルナに別れを言ってやれよ。そしたら、ルナもお前と別れることにすっきりするに違いないからな」
腰に手を当てて威張るように告げるジョンの意図は、俺とルナを綺麗に未練なく別れさせようとしていることにあるのだと知り、思わず苦笑してしまう。
なるほど、やはり幼くても彼女のナイトというわけだ。
「何がおかしいんだよ?」
「いや、別に」
ルナに会ってどんな話をすればいいのか、戸惑いはあるものの、俺は素直にジョンの背中を追いかけて歩いた。
何度もルナとの逢瀬を重ねたドゥオーモの上に着けば、月を見上げた彼女がいた。
<銀月の妖精>の姿ではなく、ルナとしての彼女が。
そんな彼女の姿を改めて見て、ふと、自分の心境の変化に気付く。
始めの頃は、<銀月の妖精>として月夜を飛び回る彼女の姿に惹かれた。だから、サーカスで活躍するルナの姿を見ても、何も感じなかった。
俺にとっての関心であり、心の救いは、<銀月の妖精>という偶像にあったのだ。
だけど、何度も彼女自身と話を交わしていくうちに、次第に<銀月の妖精>ではなく、ルナ自身に惹かれるようになった。
そして、彼女が研究所の奴等に狙われ傷ついた姿を見たときに、彼女を失いたくないと強く思った。
彼女が、大切だと。
「ソウマ・・・・・・」
戸惑ったように、ルナが俺の名前を呼ぶ。
彼女を、巻き込めない。
これ以上、俺の問題には。
それなのに・・・・・・離れたくないと思ってしまう。
「ソ、ソウマ・・・・・・?!」
「なっ・・・・・・!!」
思わず、俺は彼女に近づき、彼女を自分の腕の中に抱きこんでいた。
ジョンが抗議の声を上げるのが聞こえる。ルナが戸惑っているのが伝わってくる。
それでも、今は彼女を放したくなかった。
「ソウマ・・・・・・?どうしたの・・・・・・?」
彼女の声。
クリスマスを過ぎれば、彼女はここを離れ、それももう聞こえなくなる。
こうして腕に抱いている、その存在も。
「・・・・・・ルナ、クリスマスを過ぎたら、ここを離れるんだろう・・・・・・?」
彼女の顔を見ずに、腕の中の少女に尋ねる。
「・・・・・・サーカス団は、ここを離れるわ」
小さく頷きながら、ルナは肯定する。
別れが、すぐそばにあることを。
「でもね、ソウマ、あたし・・・・・・」
「ルナ」
彼女が何かを言いかけたのを被せて塞いでしまう。
決めたことがある。
ジョンにここまで連れてこられる間に、自分の中で決めたことを。
彼女を放したくない。別れたくない。
今、こんな近くにいるのに・・・・・・。
だから、決めたんだ。
大切な君を、守りたいから。
「ルナ、俺はクリスマスに日本に帰る。だから、ここでお別れだ」
ルナがいるかもしれないヨーロッパに身を置くことはせずに、俺は日本へ帰る。
大切な君を巻き込まないようにするためにも。
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ジョンがソウマを連れてくるまでのお話です。
そして、ソウマはソウマの思惑の元に、ルナと別れることを選びます。
それにしても、ソウマはルナに対してもジョンに対しても、すっかり立場が弱いですね〜(笑)
2014.4.13